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写メ日記

全414件中291~300件を表示

全セラピストの投稿

8/19

08/19 11:19 更新

世界の皆さん、こんにちは🌎

2004年の今日、1970年に起きた「よど号ハイジャック事件」の犯人の一部が、日本に引き渡されました。

それは、事件からじつに34年が経ったあとのことでした。

 

よど号事件は、日本赤軍のメンバー9人が日本航空機を乗っ取り、北朝鮮に向かって亡命した衝撃的な出来事です。

彼らは当時、革命思想のもとで行動していたとされますが、その手段がどれほど多くの人の命と心を危険にさらしたかは、想像に難くありません。

 

2004年の引き渡しで帰国したのは、北朝鮮での生活に長年区切りをつけたかったという元メンバーたち。

「過去と向き合いたい」と語ったその姿に、人は本当に変われるのかという問いが浮かびました。

罪を償うことと、赦すこと。

そのどちらにも、明快な答えはありません。

 

でも、過去をなかったことにするのではなく、たとえ痛みをともなっても、「見つめ直す」という姿勢は大切なのだと思います。

あの日から今日まで、誰かの中に残り続けた記憶は、きっと今も息をしている。

 

僕は、遠い国や時代の話であっても、知らなかったふりはしないでいたい。

知ることで生まれる感情は、少しずつでも世界の見え方を変えてくれる気がします。

世界

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あと少しで…

08/18 21:23 更新

こんばんは🌙

信州萬天堂の愛稀です🐍

お盆も明けてそろそろ日が短くなって夏の終わりもやっと近づいてくるかなと期待が高まりますね☺️

今年の夏は梅雨が短かったこともあってか、6月から暑くて体調管理が大変でしたね🫠

自分は、暑い夏でも外へ出て夏らしいことをしよう!を目標に走り抜けてきました🏃

夏らしいことって皆さん何イメージされますかね??🤔

自分は、花火が一番夏のイメージだったので初めて佐久で行われている花火大会に行ってきました🎆

早めの時間から会場入りしてよく見えそうなところで見たのですがホント真上に打ち上げられたので大迫力でした!!🤯

音と光が同時に来てすごい以外口から出ない位の感動でした!🥺

皆様は、どんな夏過ごされましたか???DM等でぜひ教えてください✉️

 

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あ、一応海も行ってきましたが着く時間が遅く一瞬眺めただけでした😢来年の目標は泳ぎに行くことにします🏖️

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8/18

08/18 08:47 更新

世界の皆さん、こんにちは🌎

1864年の今日、京都で「禁門の変」が起こりました。

長州藩が幕府に対して武力行動を起こしたこの事件は、やがて明治維新へと向かう動乱のひとつとして歴史に刻まれています。

 

舞台は京都御所の西、蛤御門。

尊王攘夷の理想を掲げる長州藩は、追放された自藩の復権をめざして挙兵。

それに対して幕府軍と薩摩藩が迎え撃ち、市街戦へと発展しました。

結果、京都の町には大火が起こり、御所から堀川あたりまで焼け野原になったといいます。

 

僕はこの出来事に、ひとつの時代が終わる直前の、ぎりぎりの焦燥感のようなものを感じます。

理想と現実、志と策謀。

当時の人々は、それぞれの正しさを信じていたのでしょう。

けれど、信じるだけではどうにもならない現実があり、それでも引けない何かがあったのかもしれません。

 

禁門の変は、結果として長州藩にとって敗北となりましたが、

この敗北がやがて彼らを結束させ、薩摩との同盟や倒幕へとつながっていきます。

争いのなかにさえ、次の時代を準備する力が潜んでいることを思い知らされます。

 

今を生きる僕たちは、できることなら争わずに時代を変えていきたい。

でも、もしものときに何を守るか、何を選ぶか。

そんな問いが、歴史の節目には静かに置かれている気がします。

世界

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日常の間に。

08/18 07:03 更新

お盆休みが明けました!また今日から通常運転ですね。
忙しない日常の間に琥太郎はいかがですか?

ぜひお求めください☺️

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8/17

08/17 09:39 更新

世界の皆さん、こんにちは🌎

1915年の今日、全国中等学校優勝野球大会──現在の「夏の甲子園」の前身となる大会が始まりました。

会場はまだ甲子園球場ではなく、大阪の豊中球場。

参加校はわずか10校だったそうです。

 

それでも、この大会はたしかに「夏の風物詩」の芽を育て始めていたのだと思います。

ユニフォームに汗がにじむほどの猛暑、土を握る手の震え、全力で走る姿。

そこには勝ち負けを超えた、ひたむきさがあるように感じます。

 

僕はときどき、「なぜこれほどまでに高校野球が多くの人の心を動かすのだろう」と思うことがあります。

それはきっと、誰かが人生のある一瞬をすべて注ぎ込んでいる姿を見るからなんでしょうね。

技術よりも、作戦よりも、最後に残るのは心の持ち方なんだと、野球は教えてくれている気がします。

 

グラウンドの外にも、それぞれの物語があります。

控え選手、マネージャー、応援する人たち、そして地方の学校からやってきた選手たち。

ひと夏にかける想いの数だけ、ドラマがあるのだと思うと、甲子園は「舞台」なのだと感じます。

 

100年以上の時を経ても、あの砂埃まじりの白球は、今も誰かの未来を照らしているのかもしれません。

僕も、自分の小さな一球を、大切に投げていきたいです。

世界

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いつもありがとうございます🙏✨

08/16 21:39 更新

萬天堂の名には “満点のサービス” という願いが込められています。

ありがたいことに口コミで“満点”をいただけることが多く、その一つひとつが僕の原動力です。
いただく口コミの“満点”はゴールではなく、お客様と重ねてきた信頼の証。

次に会う時も、また自然と“満点だった”と思っていただけるように、これからも萬天堂の名にふさわしくあり続けるために心から満たされる時間を届けていきたいと思います。

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🌹

08/16 08:44 更新

琥太郎のここ、空いてますよ。

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8/16

08/16 08:10 更新

世界の皆さん、こんにちは🌎

今日は京都で「五山送り火」が行われる日です。

夏の夜空に「大」の字が浮かび上がる光景はあまりにも有名で、毎年テレビ越しにでも見たくなってしまいます。

 

送り火は、お盆の終わりにあたるこの日に、ご先祖様の霊をあの世へお見送りするための儀式。

「大文字焼き」とも呼ばれるけれど、決してお祭りではなく、静かで神聖な時間です。

京都の町を囲む山々に「大」「妙・法」「舟形」「左大文字」「鳥居形」の五つの火が灯され、それぞれの形に意味が込められているそうです。

 

僕はこの行事に、“忘れてはいけないものを思い出す力”がある気がします。

忙しさに流されて、日々の生活に追われていても、

こうして一年に一度、ご先祖様や亡くなった人を想う時間があることは、心を正すような静けさをくれます。

 

炎はただ山の上で燃えているだけなのに、どこか人の心の奥と通じているようで、

離れていても、同じ夜に空を見上げたくなります。

それがたとえ「京都」じゃなくても、自分の中に火を灯すような気持ちで。

 

夏の終わりを告げるこの火に、どこか寂しさと温もりが同居しているように感じるのは、

きっと、見送るという行為が「さようなら」と「ありがとう」を同時に伝えているからかもしれません。

世界

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キャスをやるぞ

08/15 16:42 更新

皆さんこんにちは!ノアです!

 

お盆休みが終わりかけてますね

 

皆さんはどこかお出かけしましたか?

家族と過ごされましたか?

 

皆さんが何したかぼちぼち聞きたいなあ

ということで

本日22:00頃~

ツイキャスやります!

(時間前後するかもしれないので通知登録よろしくお願いします🙏)

 

ツイキャスはこちらから!

 

 

ツイキャスの目次

 

・質疑応答

・お盆やったこと

・8月度シルバーランクありがと✌️

・浴衣姿どない?

・大阪、東京出張について

 

ここらへん話していこうかなと思います

 

まだ見に来たことがない方も

ぜひぜひお待ちしておりますので

ふらっと遊びに来てください!

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8/15

08/15 12:43 更新

世界の皆さん、こんにちは🌎

1969年の今日、アメリカ・ニューヨーク州ベセルの農場で、「ウッドストック音楽祭」が開かれました。

当初は数万人規模の小さな野外フェスとして計画されていたけれど、蓋を開けてみれば40万人以上が集まり、3日間にわたって音楽とともに過ごす一大イベントになったのです。

 

この音楽祭が生まれた背景には、当時のアメリカ社会の揺らぎがありました。

ベトナム戦争、黒人差別、公民権運動、ヒッピー文化の台頭。

多くの若者が、争いや抑圧ではない生き方を模索していた時代でした。

音楽はその願いを包み込むように鳴り響き、会場は「愛と平和と音楽の祭典」として語り継がれることになります。

 

出演したアーティストも伝説的です。

ジョーン・バエズが静かに歌い、ザ・フーが夜明け前に演奏し、サンタナが雷のようなギターを響かせる。

そして最終日、ジミ・ヘンドリックスが歪んだギターで奏でた『星条旗』の演奏は、戦争への抗議とも、平和への祈りとも受け取られました。

 

会場には十分な食事もトイレもなかったし、途中で大雨にも見舞われたそうです。

それでも、多くの人が「人生で忘れられない3日間だった」と語ります。

理屈じゃなくて、何か大きな感情がそこにはあったのだろうと思います。

 

今の時代にも、きっと似たような「音を通してつながりたい」という気持ちは残っているはずです。

あの頃の空の下にあった自由を、僕もいつか感じてみたいです。

世界

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